の 隣 −




紀元前1100年代前半春   時代は周―…

紀元前1100年代まで続いていた中国最古の王朝『殷』はついに滅亡し
新たな王朝『周』が誕生してから、もう半年が過ぎようとしていた。
人々には平和が戻り、それまでの惨事はまるで夢であったかのように町は活気付いている。


朝歌 禁城裏

そこはちょっとした林のようになっていた。
日当たりも良く、常に温かな日差しが差し込んでいる。
中でも、午後の柔らかな日差しは人々をまどろみの世界へと誘った。



「あ〜ぁ…いい天気だな〜。」



そう言って、男は大きな楠にもたれ掛かり、大きく伸びをする。
その男…周の武王である姫発は、
最近、仕事を抜け出してはそこで昼寝をするのが日課となっていた。



「こんな日に仕事なんてしてられっかっての。」



『殷』が『周』に変わり早半年。
つまりは彼が最高権力者の地位に即位して早半年。
言い換えれば、彼が最高権力者という地位についてまだ『たったの半年』しか経っていないのだ。
元々、次男坊として育てられてきたが故に、彼は自分の地位についての感覚は非常に薄い。
父である姫昌も、あまり『型にはまった国王らしい国王』…という風でもなかったが、
息子の姫発はそれに輪をかけている。まさに国王としては型破りもいいところだ。
これが最初から西岐の跡取として育てられてきていたならばまだ話も別であったかもしれないが、
次男坊である彼は『次期跡取』という型にはめられる事なく、とにかく自由奔放に育てられてきた。
本来ならばそれでもよかったのだが、ところがどうもそういうわけにも行かなくなってきた。
それというのも、本来次期跡取であった彼の兄が殷の皇后であった妲己の手に掛かり殺されたのが事の発端である。
それまで、兄の守る平和な国でそれなりに面白おかしく勝手気ままな生活を送ろうとしていた彼にとって、
後継ぎというお役目が自分に回ってきたのはまさに寝耳に水であった。
それだけでも彼の予想に反した出来事であったが、
更には自分に最高権力者としての地位までが回ってきたのだ。
周の国王として、ここまで殷周革命をなんとか渡ってきた身ではあったが、
『最高権力者としての自分』をすぐに自覚をしろというのは彼にとって元々土台無理な話なのだ。



「太公望の話じゃ、親父も伯邑考兄ちゃんも
 封神台で気ままに隠居生活送ってるらしいしなぁ…。
 いいよなぁ…俺はあのインテリカルテル2人にしごかれて
 毎日毎日膨大な仕事に追われてるっつーのに…。
 元々俺はデスクワークってのは向いてねぇんだよなぁ…あーぁ…ったく…」


「武王!!」



姫発は、急に背後から自分の名が呼ばれた事に驚き
咄嗟に後ろを振り返った。
するとそこ立っていたのは、よく知った黒髪の少女であった。



「ちょっと目を離した隙に消えて…!
 仕事をほったらかして何処へいったのかと思えば、
 またこんな所で油を売っていたのですね!?」


「げっ…;!邑姜…;;!!」


「げっ、ではないでしょう!?
 探したのですよ!?」



彼女の名は呂邑姜。
元々は姜族の統領であった彼女だが、殷周革命以来、
彼の弟である周公旦とともに殷の民であった者達の生活改善に努め、
周の政治においては旦の右腕としてその才能を余すことなく発揮していた。
そしてそれと同時に、『姫発のお目付け役』も彼女の仕事の1つであった。



「まったく…少しは王としての自覚をお持ちください!
 大体あなたはいつもいつも―…」



こうして、またいつものお説教が始まってしまった。
1度こうなると1〜2時間は裕に続く。
しかし、姫発は邑姜にこうして説教をされるのはさして苦痛ではなかった。
元々、姫発は人から説教をされるのは慣れている。
昔からこの調子の彼だ。
子供の頃から、稽古や催事をサボっては剣や学問の師達やお目付け役、
はては弟の旦にまで大目玉を食らう事もしばしば。
そんな説教慣れしてしまっている彼に小1時間程度説教をしたところで効果が有るはずもなく、
右耳から入った話が左耳から出るかのように彼の頭にその説教が残る事はなかった。
しかし理由はそれだけではない。
なによりもまず、姫発はこの少女に感謝しているのだ。
彼は以前、この少女に命を救われた事がある。


『私は姜族の統領 呂邑姜!
 姜の騎兵5万 周の助太刀いたします!!』


殷の兵は70万。
それに対してわずか5万の助太刀。
しかしこのわずか5万の兵たちの出現が、沈みかけていた周の兵たちを救った。

殷周革命最大最後の戦いの最中、味方の兵たちまで妲己のテンプテーションにかかり、
それまで味方であった四方までが敵となった。
『もうダメだ…』ほんの一瞬、その言葉が彼の頭を過った。
しかしその瞬間、彼女が兵たちを率いて現れたのだ。
姫発は首は、後一歩という寸での所で首の皮一枚繋がった。
なにより、彼等の登場が姫発の命だけではなく何十万というの兵達の命をも救ったのだ。

その後も彼女はダメな国王のほころびを継ぎ合わせるかのごとく、様々な面で彼のサポートをした。
彼女の毎日の働きには、本当に目を見張る物があった。
なにせ、国王である姫発が毎日のようにこうしてサボる為、当然の如く仕事は山積みになってゆく。
しかし彼女は、その山積みとなった仕事をいとも簡単に次々に片付けてくれるのだ。
まぁもちろん、姫発の分もある程度しっかり残して…だが。
それ故に、姫発は彼女に全く頭が上がらないのだった。



「〜〜―――…聞いているのですか、武王!?」



その声に姫発ははっとした。



「あ、あぁ…;!もちろん…;;!!」



『聞いてなかった』と付け加えたいのは山々だがそんな事が言えるわけもなく、
彼は咄嗟にその言葉は飲み込み、適当に取り繕った。
もちろん、そんな事が彼女に通用するわけもない。


「…では、今私が言った事を頭から復唱してください。」


「え゛っ;;。」


『しまった…;』彼は心の中でそう呟いたがもう遅い。
彼女はいつもの無表情でじっと自分を見つめている。
どう考えても、この状況で彼女にばれていないわけがないのだ。
姫発は弁解する事も出来ずただただ黙りこくる事しか出来なかった。


「………これでは全く『馬耳東風』。『馬の耳に念仏』です。」


そう言って邑姜は溜息をついた。
彼女は明らかに呆れの色を見せている。
見慣れているはずのその表情だったが、
その日の姫発にはなぜかいつもと少し違って見えた。


「やる気がなくては何をやっても意味がありません。仕事だってそうです。
 やる気もないのに適当にやられては国は平和になんてなりません。
 そもそも、そんな国王に誰が付いて来たいと思うのです?
 そんな気持ちで仕事をされては、かえって国が乱れるだけです。」


いつもなら右から左へさらりと通り抜けていくそれ等の言葉が、
どういうわけか今日に限って頭から離れない。
それ等は不思議といつも以上に彼に重くのしかかった。

いつも以上に 深く 暗く 重く 頭に響く。

彼女の表情が頭から離れない。
無償に胸がざわついた。
彼女の言う事はもっともだ。


自分の父は今まで自分のように仕事を怠けた事などあったであろうか?
自分の兄は今まで自分のように仕事を適当に扱ったことなどあっただろうか?
自分の弟は今まで自分のように仕事をほって逃げ出した事などあっただろうか?


答えは間違いなく『NO』だ。

それまで、自分にとって、雨・風を凌ぐ家があるのが当たり前で。
日に3度の暖かい食事が取れるのが当たり前で。
毎日友人や家族と笑い合えるのが当たり前で。
平和である事がごくごく当たり前なのだ。

そう思っていた。

しかしそれ等はすべて決して当たり前の事などではない。
衰弱しきった殷の民たちを目の当たりにした時、初めて気が付いた。


今までの自分がいかに幸せであったか事か。
今までの自分がいかに周りに甘えてきた事か。
今までの自分がいかに傲慢であった事か。


自分なんかが今まで平穏無事に生活できたのはなぜだ?


父がよい国を作ってきたおかげ。
兄がその国を守ってきたおかげ。
弟がその国を正してきたおかげ。


自分に対する感情がグルグルと頭を駆け巡る。


自分は父と比べてなんて愚かななんだろう。
自分は兄と比べてなんて小さいのだろう。
自分は弟と比べてなんて非力なのだろう。


考えれば考える程に自分の不甲斐なさを思い知る。
情けなさを恥ずかしく思う。
姫発は動く事も出来ず、ただそこに座ったまま黙りこくる事しか出来なかった。


邑姜が彼の異変に気付いたのはその時だった。
いつもならそろそろ痺れを切らし、下手な弁解か平謝りの謝罪が飛んでくる頃だ。
しかし、今日に限ってそれが来ない。
それどころか自分の目の前の男はいつもは見せないような真剣な顔でただただ黙りこくるだけだ。
いつもは冷静な彼女も少し不安になった。


「武王?」


自分の呼びかけにも返答はない。
少女の胸にじわじわと黒い影のようなものがが現れ始めた。
それ等は徐々に大きくなる。
無償に胸がざわついた。


「武王…?」


いつもなら不安を感じる事なんて滅多にない。
でもどういうわけか彼のその表情は彼女を無償に不安にさせた。
いつもならありえないほどに 深く 暗く 重く 不安を駆り立てる。


自分はこの人になにがしてあげられるのか。


考えれば考える程わからなくなる答え。
指の間をすり抜ける砂のように
答えを掴めず疑問だけが指の間をすり抜ける。

もしも私があの人ならば。
もしもあの人が私ならば。

彼に何をしてあげただろうか?
彼女の頭に浮かんだのは どこか酷く儚げに笑う小柄な少年の姿をした1人の男。


『わしは 未来を救えると思うほど傲慢にはなれぬよ』


こっそりと覗いていた義父の夢の中でそう言ったあの人。
私とて自分が未来を救えると思うほど傲慢にはなれない。
例え本当に世界が私を必要としたとしても
果たして私に世界を救う事が出来るだろうか。

答えは間違いなく『NO』だ。


たった1人の人間に救えるほど世界はそう容易くはなくて。
たった1人の人間に守れるほど世界はそう小さなものではなくて。


この国の民達だけでさえ自分1人の手には余る。
世界は人1人が抱えるにはあまりに重く。
国は人1人で守るにはあまりに広い。





  そ  れ  で  も  

  1  人  で  な  い  の  な  ら  ば





「ほんの少し…」


「…?」


「ほんの少し休みましょうか。
 今日は良い天気です。気分転換になるでしょう?」


そう言って少女は男の横に腰を下ろす。


「…邑姜?」


「…国は…人1人が抱える物ではありません。
 国というものは、人1人が抱えるにはあまりにも大きいものですから。」


「………。」


「あなたの手に余って当然なのです。
 その為に周公旦様や臣下達がいるのですよ?
 なにもかもあなた1人で抱える必要など最初からないのです。
 あなたが1人で悩む必要などこれっぽっちもないのです。」


少女の言葉は1つ1つ静かに姫発の胸に響いた。
林中を照らす柔らかな日差しのように 深く 優しく 温かに。
気が付くと 不思議と姫発の胸の中のもやもやは全て消えていた。
姫発は黙って少女の言葉に耳を傾けた。


「民達だって、ただ適当に生活しているのではありません
 彼等だって考えているんです。
 あなたに付いて来たいと思うからあなたについてくる。
 あなたに支えられ・あなたを支えたいと思うからあなたの元に居る。
 たまには民や臣下達に頼るのも悪い事ではありません。
 それに…」


「それに?」






「あなたが不安なのならば私がずっとあなたの隣に居ます。」





「……///!」


「私があなたの隣にいてあなたを支えます。
 だから 1人で悩まないでください。」


そういって自分の隣で少し眉根を寄せて自分を見つめる少女に
不覚にも姫発は一瞬見惚れてしまった。


「…15以下は射程外なのに…」


「? 何か?」


「あ―― 何でもねぇよっ!」


こうして少女と男はしばらく柔らかな日差しを楽しんだ後
部屋中山積みされた仕事を片付けるべく戻っていった。



下手をすると一生妻を取らないのではないか?
とさえ言われていた姫発が正妻を迎えるのは まだこのちょっと後のお話。




END.






封神現役の中学生時代に途中まで書いて落ちだけか数に放置していた物を

完全版発行時に友人と突発的に立ち上げた別サイトに乗せるに書きった物です。

懐かしいと同時に昔から成長のない文才にちょっと凹む。


2012.1 再UP



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