夜空に浮かぶ大きな明かり

それはいつも必ずあって

まるで夜空の海を照らす灯台のように ふわりと柔らかい光を放つ

その光はまどろみへの道標

導に沿って向かった先に 待ち受けるのはなんなのか

進むのも 止めるのも 全ては己の意思一つ







夢人ゆめびと  前







禁城の夜は早い。

なぜならば、答えは酷く簡単で 禁城では他のどこよりも一際朝が早いからだ。

国王は、国民の手本でなくてはならない。

国王は、農民 商人 大人に子供 その誰よりも勤勉に勤めなくては成らない存在で

それ故、仕事の量に応じて、自ずと国王の朝はそれなりに早くなる。

それに対してその臣下は、その国王を全力で支える身でなくてはならない。

その為に、結果、国王をサポートする為に国王よりもさらに早く目覚める事になるという寸法だ。

中でも特に、自分のそれは群を抜いていた。

鳥が鳴くのと同じ頃 空が白むその瞬間に目覚めるのが自分の日課だった。


(必要以上に寝起きの悪い武王を叩き起こすのが私の朝一番の仕事だもの)


しかしだからと言って、自分が城の中で一番早く眠りに付くという事ではなかった。

全体的に見れば、朝が早い分、夜も早い者が多かったが、

自分はむしろ、眠りに付くのはかなり遅い方で、

なんなら、城の中で一番最後である事がザラなのではないかと思う。


(隙を見せると武王が城を抜け出して遊びまわるから、
 キチンと眠ったのを確認しなくては眠れやしない…)


今日も今日とて、山積みの仕事を終え


(武王がちっとも仕事に慣れないから、
 しばらくの間は武王の分も私が片付けなくてはいけない…)


武王の脱走を難なく防ぎ


(目を話すとすぐ逃げようとする…武王の行動は目に余る…)


やっとこさ自室に戻った頃には、城の外はすっかり闇に包まれていた。





(あと数時間後には起床の時間だわ…)





ふいにその事実に気づき、思わず口から深いため息が零れた。

体が鉛のように重い。


(最近、さすがに少し疲れたような気がする…)


しかし、弱音を吐いている暇などなかった。

また、人に厳しく、自分にも厳しい性格である事もあって、

そもそも弱音を吐く事自体、すべきではないと思っていた。


(送り出してくれたアノ人の期待に応えなくてはならない…)


まだまだ頼りない国王の分も、自分がしっかりしなくては、

と、日々気を張るばかりだ。

緊張の糸が解けるのは こうして1日を終え、自室に戻った時だけ。

ゆるりゆるりと重たい体を引きずるようにしてベッドへと倒れこむ。


(このくらいでへこたれてなんていられない…
 明日もするべき事は山のようにあるのだから…)


深い深いため息を吐き出しながら、枕に埋めた顔をむくりと上げる。

するとふいに目に入ったのは、ベッドのすぐ脇にある小さな窓。

おもむろに窓の外へと目をやると、綺麗な満月が昇っているのが見えた。


(あぁ…綺麗…)


ふわりと差し込む月の光に 思わず目を奪われた。

その光は疲れた体をじわりと癒すようにとても優しく暖かなものだった。





その瞬間、ふと頭を過ぎったのは、小さな小さな噂。

それは今、朝歌の若い女性たちの間で流行っている

占いともおまじないとも取れる 他愛の無い遊びだった。



『月明かりに 会いたい人の写真や手紙 縁の物を照らして、
 それを枕の下に入れて眠ると その人の夢を見る事が出来るんですって。』

『あらでも、それは必ずしも見れるってわけじゃなく、
 相手も自分に会いたいと願ってくれている時だけ見れるのですってよ!』

『あら、私の聞いた話では…!』



侍女たちはお互いの言葉を遮るように、

次々と捲くし立てるようにしてそう話した。

その様子を見た自分はと言えば、

そんな非科学的な、と子供びたその遊びに呆れる一方で

自分には縁のない可愛らしい遊びだな、と

ほんの少し羨ましく思ったのを良く覚えている。

綺麗に着飾った侍女達が色めきたつ様はとても可愛らしくて

子供だましとはわかりつつも ついつい聞き入ってしまう様はとても微笑ましくて

会いたい人を思って口々に囀る様はとても魅力的で

全て 自分にはないもののように思えた。


(だって自分には今まで 夢でも良いから会いたいなんて思う人はいなかったのだもの…)


その時は そう頭の中で独りごちた。

それを思い出し、また深くため息をつく。

今まで、自分は、生きる為に兎に角必死だった。

私は 生きる為に羊を育て、畑を耕し、作物をお金に変えた。

生活はこの繰り返しだという事を 私は養父から学んだ。

そしてある日、養父はそれに付け加えるようにしてこう言った。

『自分が必要だと思った事は、自ら学びなさい』と。

その言葉で、私は様々な事を学んだ。

つまりは仕事と勉学が私の生活の全てだった。


(私はそういう色めく感じとは無縁ね…)


ため息と同時にゆっくりゆっくりと まぶたを閉じると

ふわりと頭を掠める物があった。

それは、酷く淡い淡い色。

それは、自分にとって酷く懐かしく とても愛おしい柔らかな薄荷色。


(そういえば、アノ人に最後に会ったのはいつだったかしら…?)


そんな事をふと考える。


(もうずいぶんと会っていない気がする…)


朝歌へ来てまだほんの数ヶ月。

しかし 懐かしい薄荷色の元を離れたのはもっとずっと前の事で

離れて暮らせば、自ずと合う回数も減った。

思えば、最後にあの人に会ったのは、殷が周に変わる前で

その時でさえ、ほんの数言話しただけだったように思う。


『邑姜 貴方は行かなくてよかったのかな?』


浮かぶのは その髪と同じように柔らかく温かな声。

それは耳からというよりは 直接頭の中にじんっと響くような 芯のある音。


(会いたいな…)


淡い思いが ほんの少し色づいた。


(声が 聞きたい…)


それを皮切りに、思いは どんどんと色を増す。


(アノ人に 会いたい…)


その思いは堰を切ったように胸の中にとめどなく溢れ出した。

溢れたが最後、気が付いた時には、もう日付も変わろうという時間である事も忘れて

夢中になって自分の荷物を漁っていた。

自分が朝歌に来てもう時期半年近くにもなろうとしている。

だがしかし、日々を武王の教育係と自身の仕事とに追われていたばかりに、

実のところ 桃源郷から持ち出した荷物のその半分近くが

未だに封を開けられないまま 部屋の隅に詰まれているのだ。


(絶対に持ってきたはず…。
 たぶん まだ開いていない箱にあるはず…。)


必死になって探しているのは たった1冊の本。

否 それに挟まれた1枚の紙切れ。

あれやこれやと封を開け続け、やっと目的の物を見つけたときには、

すでに日付が変わって1時間が経過していた。

見つけ出した古ぼけた本の表紙には『酪農入門』と太い毛筆で書かれていた。

何度も何度も読み返したせいで、摺れて表紙が少し破けてしまっているその本は

生まれて初めてあの人から貰った本だった。



『自分が必要だと思った事は、自ら学びなさい』



あの人はそう言ってこの本を与えてくれた。

手に馴染んだその表紙をそっと撫ぜ、破れない様にゆっくりと開く。

するとそこには1枚の紙切れ。

それは文章と呼ぶには少しだけ短い しかしメモと呼ぶには少しだけ長い

あの人が私にくれた最初で最後の手紙。


(ずっと一緒に暮らしていたのに
 私はこの手紙以外であの人の文字なんて見た事がないわ…)


ほんの少し黄ばんでしまったその紙切れを手に取り、

ゆっくりと窓の方へと歩み寄る。

明かりを全て消していると言うのに、

窓から入る月明かりで 部屋は明るかった。

おもむろに窓の外の月にその紙切れをかざせば

薄い紙切れはぼんやりと透け 文字を一層際立たせた。





『い―か―――――――た―に…。』





その時 ほんの僅かに

誰かの声が聞こえたような気がして 私ははっとして息を呑んだ。

瞬間、咄嗟に辺りを見回したが、

もちろん 自分以外にこの部屋に人等いるはずもなく、

時間が時間なだけに外に人気がある事もなかった。


(気のせい…か。
 やっぱり疲れてるのかしら…。)


そんな事が頭を過ぎった時、同時にとてもとても嫌な事を思い出した。


(…あと数時間後には起床の時間なのに…。
 私ったら何をやってるのかしら…私らしくもない…。)


自分の置かれている状況をすっかり思い出し、

本日3度目の深い深いため息を口から零す。


(絶対に疲れているのだわ…)


そう思い立ち、今度は脇目も振らずにそそくさとベッドへと潜り込んだ。

その時、手に持っていたその本と紙切れを咄嗟に枕の下に入れたのは、

特に深い意味もなかったように思う。

それでも私は確かにそれ等を枕の下にねじ込み、まぶたを閉じたのだ。

すると、それまでの行動力が嘘のように 酷い眠気が一気に私を襲った。

私はその重いまどろみに身を任せ、するりと眠りに落ちた。





気が付くと 私は全く知らない場所に佇んでいた。





否 浮かんでいた というのが正しいのかもしれない。

足は地になど着いておらず それどころか足場に地面らしき物さえ見当たらない。

ふわふわと無重力状態で どことも知れない空間に体を浮かせていた。

そこはまるで水の中のような 暗く 音のない静寂の世界。

目の前に浮かぶのは 水泡のようないくつもの光の粒。


「これは…夢?」

「そう、夢だよ。」


そう声がすると同時に後ろからいきなり腕を掴まれた。

驚いて勢いよく後ろを振り返れば

そこにあったのはよく見慣れた しかし酷く酷く懐かしい顔。


「老、子…?」

「やぁ、邑姜。
 今日もいい天気だね。」

「いい天気って、ここには…」


『空なんてないでしょう?』

そういいかけた瞬間 いつの間にか、自分の足が地に着いていることに気づく。

上を見上げれば 真っ青な空に浮かぶ白い羊雲。

視線を戻せば、風にそよいでふわふわと揺れる薄荷色。

その向こうには、いつの間にか大きな木々さえ見える。


「どうかしたの、邑姜?」

「いえ…いいえ。なにも。」


それを見て、私は1つの答えに行き着いた。

私は今 間違いなく夢の中にいるのだ、と。


「ふぁ〜…天気が良いから眠くなってきちゃったよ。
 私はもう寝るけど、君はまたその本を読むの、邑姜?」

「本…?」


気が付くと いつの間にか私の右手には1冊の本。

それは、昔私が何度となく読み返した懐かしい本で

眠りに落ちる本の数分前まで手にしていた本…

『酪農入門』だった。


「君は本当にその本が好きなんだね…。
 まぁいいや。じゃあおやすみ。」


それだけ言うと、私の返事を待たずに老子は木陰へと腰を下ろし、

ゆっくりと眠りに落ちた。

スヤスヤと静かな寝息に合わせてふわふわと揺れる薄荷色。

葉の間から漏れる日差しを一身に受けて

その薄荷色がキラキラと光る様は 酷く懐かしく

思わずぎゅっと胸が締め付けられた。

その胸の微かな痛みを誤魔化すように、

私は老子から目をそらすようにくるりと振り返った。

そして、そのままストンとその場に腰を下ろし、

老子が身を委ねたのと同じ木へと背を委ねる。

上を見上げると、木々から温かな日差しが差し込んでいた。


(気持ちがいい…)


その柔らかさが徐々に私を睡眠へと誘う。

自然とうつらうつらと頭が舟を漕いだ。


(あぁ…懐かしい…。
 昔は良くこうして日向ぼっこをしながら眠ったっけ…。)


そのまま 深く 深く 眠り込んだのだと思う。

舟を漕いだところまでは確かに記憶にある。





しかし、次に目を開いた時 私の体は自室のベッドに横たわっていた。








END.






老邑(+太)。

某方へのお誕生日プレゼントでした。

ちなみに、【夢】は【寝目いめ】が変化した物。

寝ている時に見るもの、という意味らしいです。

そして、その夢に現れた人の事を【夢人ゆめびと】と言ったんだとか。

昔は夢占いを大変重視したそうで、夢に出てきた人は大きな意味を持つ存在だったようです。

そしてもう1つ、【恋しく思っている人】という意味もあるらしい。

現実では会えない人や人目をはばかる人が夢路を辿って会いに来るともされていたそうです。

これを本で読んだ時は、それはもうこれは使わでおくべきかと…!(落ち着け)

とりあえず、続きます。


2012.1 再UP



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