太陽に照らされたその髪は いつだってキラキラと眩しくて

遠くにその金色を見つける度に 俺はいつも無意識に目を細めた

でも本当は気づいていた

ずっとずっと気がついていて ずっとずっと気づかないふりをしていた

本当はその髪は 月のない夜でさえ 俺には眩しく見えるのだ






−金色の君−






静寂に満ちた道を、1人ふらふらと歩く。

我が家へと続くその道は、元々人気が少ない。

まだ20時をほんの少し過ぎただけだというのに、

その道には、車はおろか自分以外は人っ子一人見当たらなかった。

その手には、ガサガサと物音を立てるコンビニ袋が1つ。

その中にはコンビニで仕入れてきた週間漫画雑誌と

その雑誌を読みつつ食べる為の熱々の肉まんが入っている。

とはいえ、すでに日が暮れた時間帯での事だ。

暦の上ではもう春だとはいえ、夜の外気はまだ肌を刺すように些か冷たい。

ぶるりと身震いを1つして、マフラーへと顔を埋めた後、

そろりとコンビニ袋へと手を突っ込んでみた。

すると、もしやとは思っていたが、案の定だ。

つい先ほどまで素手で触るには熱い程だった肉まんは徐々にその温かさを失い、

すでに申し訳程度に温かさが残るのみとなっていた。


「しもた…トロトロ歩いとらんと、走って帰れば良かった…」


後悔した所で後の祭り。

この肉まんは、家に帰るまでの間にはしっかり冷え切ってしまっているに違いなかった。

電子レンジにかけてしまっては、折角のジューシーで柔らかさが売りのこの肉まんも、

パサパサで美味さが半減してしまう。

かといって持ち前の面倒くさがり気質だ。

わざわざ蒸し器を出してまで温める気にはとてもなれなかった。

ならばと出した結論は、申し訳程度に残った温かさを文字通り有難く噛み締めつつ、

食べながら帰宅するという安直なもの。

しかし安直とはいえ、自分の中にはもはやそれ以外の選択肢はなかった。


「あ〜ぁ…こんなんやったら普通にポテチでも買うとけばよかった。
 漫画読んどると口寂しゅうなるから買うたのに…。
 先に食べてしもたら意味ないやん…。」


そう1人ごちりながら肉まんをむしゃむしゃと頬張る。

すると、それまで静寂に満ちていたはずの道の遥か後ろの方から、

物音が聞こえ始めた事にふと気づいた。

その物音はよくよく聞けばすさまじい勢いで駆け抜ける足音のようで、

どうやらそれは徐々に自分へと近づいてきているように思えた。

聞き覚えのあるその音に、もしやと思い身を固め、

ばっと後ろを振り返ってみたものの、もう遅いという事に気づく。

その時点で、それはもう、自分のすぐ後ろにまで迫っていた。


「れぇええ〜んぞぉぉおおおおりゃあああぁああ…!!」

「ぃいぎゃーっ…!!!!!」


叫び声とほぼ同時に、脇腹へと受けた物凄い衝撃。

あまりの衝撃に、道路へと勢いよく倒れこんだ。

とはいえ、かろうじてその手に持った肉まんだけは死守したのだから、

我ながら自分で自分を褒めてやりたいところだった。


「何をしよんねん、金兄…!!!」


倒れこんだ体を起こしながら、自分を吹っ飛ばした張本人に勢いよく怒鳴りつける。

すると、最初に視界に入ったのは、金色の毛玉。

もとい、跳び蹴りから見事に着地し、片膝を地べたに付いてポーズを決める金髪の男。

その背中には大きなギターケースが揺れている。

自分と非常に良く似た顔立ちのこの男の正体は、廉造の兄・金造だ。


「何をカリカリ怒っとん?セーリか?」

「誰が生理やねん!!!」

「自分、外であんまでかい声出しなや。
 もう夜やで。ご近所迷惑やんか。」


こちらの怒りも何処吹く風とばかりに、あっけらかんとした顔で

腹立たしい切り返しをしてくる金兄。

しかし言っている事自体は尤もなので、本来ならもう一度怒鳴りつけたい所を

なんとかかんとか飲み込んで、普通のボリュームで話す。


「誰のせいや思うとんねん。
 そんなん言うなら飛び蹴りとかホンマやめてや。」

「自分が道のど真ん中ふらふらしとるからやろ。
 自分がそこにおるから跳び蹴りされんねん。」

「山があるから登るみたいに言いなや…!」


そう言ってはみたものの、この兄に話が通じるとは到底思えない。

ただでさえ寒くて早く帰りたいというのに、

この場で不毛な訴えを起こすだけ無駄というものだ。

そう思い、さっさと立ち上がると、くるりと向きを変えて家路へと戻った。

金兄はといえば、特にその様子を気に留める事無く、

そのままひょこひょこと自分の横に並んで歩き出す。

すると、金兄は目ざとく自分の手にあるものを発見した。


「なんや、自分ええもん持っとるやんか。」


その言葉とほぼ同時に、右手に持っていた肉まんは姿を消した。


「ちょっ!それ俺の…!」


そう反論しても、時すでに遅し。

1/3近く残っていたであろうはずの肉まんは、

もはや一瞬にして金兄の口の中へとあっさり収まった後だった。

もごもごと頬一杯に頬張る姿は、まるで巨大なハムスターのようにも見える。

そのまま、頬張った肉まんを勢いよくごくりと飲み込むと、

金兄はあからさまに嫌な顔をしてみせた。


「うわ〜ごっつ冷めとるやん。
 冷たい肉まんとか、ないわぁ〜。」

「じゃあ食わんといて!
 人から奪ってまで食わんといて!!」

「そんな騒ぎなや。たかが肉まんやろ。」


凹む自分を前に、金兄はまたあっけらかんとした顔で、

人の頭をポンと叩いて言う。


「金兄にとってはたかが肉まんでも、
 中学生の俺からしたらされど肉まんやねん…。
 月の小遣いいくらか自分かて知っとるやろ…?」

「肉まん1つでネチネチと…ケツの穴の小っさい男やなぁ。」


半べそをかきながら抗議したところで、いまや肉まんは金兄の腹の中。

中学生のなけなしの小遣いから捻出された大切なおやつも、

このガキ大将のような暴君の手にかかれば一瞬で消えてしまうのだから

非常にやるせない。

また、いくら抗議したところでこの暴君には全く通じないのだから

やるせない事この上ない。

これ以上被害を被るのはごめんである。

それでも、どうしても納得がいかなくて、

小さな抵抗としてじとりと金兄を睨めつけた。


「お、なんやねんやる気か?」


そう言いながら金兄は楽しげにファイティングポーズを決めたけれど、

もちろん、こちらに【やる気】などない。

なにせ、この暴君相手に勝ち目などあるはずは万に一つもないという事を

自分はよく知っているのだ。

触らぬ神よろしく、もはや反論するのを諦めて無言でそそくさと歩き出した。


「なんや?自分、お兄様置いて帰る気ぃか?」


背中越しに聞こえたその声は、些か楽しげで少々腹が立ったけれども

無視を決め込んでそのまま足を進める。

さすがに走ってまで逃げるのは気が引けるので、出来うる限りの早歩き。

スニーカーがデコボコのアスファルトに擦れてジャッジャと軽快な音を立てる。

しかしその音は1人分。

後ろから、別の足音は1つも聞こえない。

振り向かなくとも、金兄の足が止まったままなのだけは確かだった。

不思議に思った次の瞬間、再び背中越しに聞こえる声。


「廉造、自分そんなん許されると思うとるん?」


さっきまでの楽しげな声とは打って変わって、その声は、些か不満げに思える。

その事に、ほんの少しだけ身震いがした。

普段、非常に子供びた言動ばかり取るこの兄も、結局の所自分よりは大人なのだ。

5つも年上のこの兄にとって、自分はまだ子供でしかないという事を、

自分は厭という程 良く知っている。

赤子の手を捻る、とまではいかないにしても、半ばそれに近い感覚なのかもしれない。

本当はすぐにでも戻ってご機嫌を取るべきだという事を頭で理解はしている。

それでもちっぽけなプライドが邪魔をして、振り向く事は出来ない。

今更その足を止める事も出来ず、足早に進む。





「自分、俺から逃げれると思うなよ?」





その声に、『ヤバイ』と、本能が告げる。

しかし咄嗟に体を捻って振り返った時には金兄はもうすでに真後ろにいて

あ、っと思った次の瞬間、体にすさまじい衝撃と痛みが走った。

見える景色全てが一瞬で別のものへと変化を遂げる。

たったの一瞬で、世界が90度傾くと、

背中にはジャリッと硬いアスファルトの感覚。

見えたのは、視界一面の金色。


「自分、俺から逃げれると本気で思うたん?」


気が付けば、アスファルトに仰向けになっていて、

その上には金兄が圧し掛かっていた。

楽しげににやりと歪む金兄の口元。

その表情は、先ほどまでの子供びたものとは違っている。

その声は、酷く、酷く色気を孕んでいて、思わずゾクリとした。

まるで電流が流れでもしたように、脳の奥がビリビリと痺れる感覚。

真っ直ぐに射抜くように自分に向けられたその瞳と、

月明かりに照らされてキラキラと光るその金色の髪。

その景色に 思わず息を呑む。

その景色がなぜかとても眩しく思えて、ぎゅっと目を細める。


「金兄…重い…」


誤魔化すように絞り出したその声は、

自分が思っていた以上にずっとずっと小さな物で、

とても、とても情けない気持ちになる。

自分はとても弱い。

自分は昔から この金色の男に滅法弱いのだ。


「自分が生意気なんが悪いんやろ。」

「わかったから。謝るから。
 はよ、どいて。」


一刻も早くこの状況から逃れたくて、

とりあえずのやっつけ台詞を1つ。

それでもこの兄は満足したようで、

自分のその言葉に にかっと笑うとさっさと退いた。


「どアホの廉造にもようやっとお兄様の偉大さがわかったようやな!
 結構結構!」


そういって、金蔵は満足そうにうんうんと頷く。


「はいはい、スミマセンデシタ〜。」


一体いつからだろう。

この兄をこんなに苦手に思うようになったのは。

昔から、苦手ではあった。

我侭だし うるさいし 暴力的だし。

なにより、弟である自分から見ても馬鹿なのだ、この兄は。

いかにも兄らしい2番目や3番目の兄達と比べて、

とてもじゃないが兄として敬えないこの金色の男。

もちろん昔は金色なんかじゃなかったけれど、

昔から苦手は苦手で

それでも今改めて考えてみれば、ちょうど この男の髪が金色になった頃から

今のようによりこの男が苦手になったように思う。

太陽に照らされたその髪は いつだってキラキラと眩しくて

遠くにその金色を見つける度に いつも無意識に目を細めた。

苦手なのだ、この男が。

弱いのだ、この男に。



  で  も  、 な  ぜ ?

  な  ぜ  だ  ?

  な  ぜ  だ  ろ  う  ?



考えても答えは見つからない。


「ほれ、ボーっとしとらんと行くで、アホ廉造。」


そう言うと、金兄は無造作に、俺の後ろへと手を伸ばす。

そのまま、ジャケットからはみ出るパーカーのフードを

ぐいと引っ張られ、勢いよくぎゅっと首が締まった。

その苦しさは、思わずぐぇと潰された蛙のような声が零れ出る程だ。

必死に自分の首元を引っ張り、首を死守した。


「ちょっちょちょちょ…!金兄金兄金兄!!
 苦しい苦しいマジで苦しい…!
 ホンマに首締まっとるから…!!」

「やかまし。」


こちらの抗議も虚しく、金兄はお構いなしにフードを引っ張り、

そのままずるずると俺を引きずって歩き出した。

もうこうなったら抵抗しても無駄だ。

そう悟り、出来うる限り力を抜いて、とぼとぼと後をついていく。

もちろん首を死守することだけは忘れない。

しばらくそのままついていくと、途中、その足が

いつもの帰り道とは違う景色の中へ向かい出した事に気がついた。


「金兄、なんでこっち行くねん。
 ウチ、あっちやん。」

「寄り道すんで。」


不思議に思ってこちらから問えば、金兄はしれっとそんな回答を1つ。

正直、急ぎ足で家路へと向っていたこちらからすれば、

とんでもない話である。


「え゛ぇ゛〜…ちょっ、寒いからはよ帰ろうや〜…!」

「やかまし。ええから付いて来い。」


そう言うと、金兄は途中で小さな公園へと足を踏み入れた。

そこは、幼い頃、よく兄や幼馴染達と遊んだ場所だと気づく。

次の瞬間、勢いよく締まっていた首元に余裕が出来た事に気がついた。

どうやら、足を踏み入れると同時に、フードが解放された様だ。


「こっち。」


そう言うと、金兄はブランコを指差して手招きをする。

素直に言う事を聞かねばまた酷い目に合うという事だけは想像に易かった為、

選択肢はもはや、大人しくその指示に従うという事の他なかった。


「自分、ちょっとここで待っとけ。」

「は?」


それだけ言うと、金兄は俺に背中を向けて歩き出した。


「ちょっちょちょちょっちょ…!!
 なんで?!ちゅーか金兄どこ行くねん!?」

「ええから大人しくそこで待っとけ。
 勝手に帰ったら本気でしばくで。」


そう言うと、金兄はとっとと入ったのとは反対側の入り口から

1人で出て行ってしまった。

取り残された俺は、ただただ呆然とするばかりだ。


「なんやねんマジで…。」


半べそをかきながらそう呟いても、

その言葉は寒空の中に虚しく消えていくだけだった。

待てといわれた限り、自分に出来る事は、

言われた通りにここで金兄の帰りを待つ事だけだ。

致し方ないとばかりに、目の前のブランコへと視線をやる。

小さな頃にはとても大きく見えたそれも、

中学卒業を迎えた今の自分にとっては酷く小さいものになっていた。

何の気なしにその鎖をぐいと引くと、

がしゃりと大きな音を立ててブランコが揺れる。


「ちべた…!めっちゃ冷たい!」


そういいながらも、そのままブランコへと腰を下ろせば、

やはり昔の記憶よりも酷く窮屈に感じた。

懐かしさから、そのまま足元を蹴り上げて漕いでみれば、

錆び付いた鎖が擦れてギィギィと懐かしい音を立てる。


「昔は2人乗りとかもできたんにな…」


そんな事を思い出してはみたものの、その2人乗りのその相手は、

まさに今 自分をここに招き入れた暴君である事が圧倒的に多かった事を思い出し、

昔の苦い記憶に思わず眉間に皺がよった。


「金兄、毎度毎度ガチで1周せん勢いで漕ぐから
 落ちひんように鎖にしがみ付くのに必死やったわ。」


ギィギィという厭な音を立てるブランコに、

昔の記憶が色々と蘇る。

思えば金兄は、昔から言動が突飛もない。

自分と同じ真っ黒だったあの髪が、金色に変わったあの時もそうだった。







「ちょっ、金兄、なんやのその髪…!?」

「えぇやろ?」


そう言うと、金兄は満足そうにニコニコと微笑んだ。


「いや〜俺も4月から高校生やし、
 東京で本格的に祓魔師の勉強するわけやからな!
 気合や気合!」


いつものようにふらりと1人でどこかに出かけたかと思えば、

ほんの数時間でひょこりと戻ってきた金兄。

出かける前までは自分と同じく黒々としていたその髪は、

戻った時にはまるでその名をそのまま表したかのように、

見事なまでの金色に染まっていた。

キラキラと日の光を浴びて金色に光る髪に、

俺はただただ唖然とするしか出来なかった。


「気合て…おとん、めっちゃキレるんちゃうの?」

「おぅ!ちゅーかもう殴られた!」


ほら、といいながら自分の頭上を指差す金兄。

その指差す先をよーく眺めれば、ボコリと大きなこぶが1つ。

それでも金兄はそんな事にはまるで気にも留めず、

カラカラと悪びれなしに笑った。


「えぇねん。もう俺は俺のしたいようにすんのや。
 俺はもう【ぎむきょーいく】終了したさかい、
 一人前の大人やねんから!」

「大人て…自分つい数ヶ月前に15になったばっかやんか。」

「うっさい。10歳の餓鬼に言われたないねん。」


そう言って、眉間に皺を寄せると、

金兄はガシガシと俺の髪をかき回した。


「痛い痛い痛い!やめてぇや!」

「やかまし。廉造のくせに生意気言うからや!」


べそをかきながら金兄の顔をそっと伺い見れば、

金兄は腕を組んでふんと鼻を鳴らした。


「昔やったらな、男は15で一人前やねんぞ!」

「金兄はいつから侍になってん?」


そう言って馬鹿にしたように笑えば、

金兄はいつものようにおっかない顔で俺を怒鳴りつけた。


「誰が侍や!俺は立派な僧正になんねん!」


その言葉に、思わずどきりとした。


「金兄…僧正なんの?」

「は?」


金兄のその言葉に、酷く 酷く動揺した。

昔から、自分勝手なこの兄だ。

自由奔放でろくに勉強をしている様子もなく、

友人達とバンドを組んで毎日遊びまわっているような男だ。

だからこそ、当然、将来はミュージシャンなどという

無謀な夢でも目指すものだとばかり思っていた。

だからこそ、酷く 酷く動揺した。


「当ったり前やろ。
 俺は妙陀の男として立派な僧正になんねん。」

「ミュージシャンは?!金兄バンド好きやんか!
 将来はミュージシャンとか目指すんと違うの?」


必死だった。

ただ、必死だった。

なぜと問われれば自分でも良くわからなかったが、

それでもただ必死に、縋りつく様にして兄に問うた。


「もちろん、音楽も好きやで。
 せやけど俺は僧正になんねん。」

「なんで…?意味わかれへん…。」


その通りや、と言って欲しかった。

やっぱり俺は僧正ではなくミュージシャンになる、と

そう言って欲しかった。

それでも、金兄の口から出たのは、俺が欲しかった回答とは違っていた。

その事実が、俺を更に動揺させた。

そこで、やっと気づくことが1つ。



なぜ、自分はこんなにも必死だったのか。



それは、この兄だけは、自分と同じだと思っていたからだ。

自分と同じように、堅苦しい大人達の中で畏まる事に馬鹿馬鹿しさを覚え、

小難しい説法を嫌い、面倒ごとを疎むこの兄だけは、

なにもかも自分と同じだと思っていたからだ。

自分と同じように、僧正になどなりたくはないと、

そう思ってくれていると、勝手に信じていたからだ。

だからこそ、まるで裏切られでもしたような、

そんな感覚に陥らずにはいられなかった。



酷  く   酷  く  浅  ま  し  い  考  え 

酷  く   酷  く  自  分  本  位  な  思  い



自分の抱くその勝手な感情はとても醜いと、

そのくらい自分でも理解できた。

それでも、どうしても受け入れることが出来なかった。

だからこそ突きつけられた事実に酷く苦しくなる。

思わず俯くと、ついにはそのまま視線を上げる事ができなくなってしまった。


「なんや?どないしたん、廉造。」


自分のただならぬ様子に、不思議そうにそう言う金兄。

しかし自分はといえば、もはや金兄のその問いに返答を返す事も出来ない。

思わず鼻の奥がつんと痛んだ。

それを気づかれまいと、更に深く首を垂れれば、目頭まで熱くなってしまう。

ぎゅっとセーターの裾を掴めば、指先が真っ白になる程に力が篭った。

その様子を見て、金兄が何を思ったのかはわからない。

それでも、自分の頭上で、金兄が深くため息をついた事だけはわかった。

その気配に、思わず体がびくりと跳ねる。


「別にお前にわかってもらおうなんて思うてへんわ。
 さっきも言うたやろ。俺は俺のしたいようにすんねん。」


金兄のその言葉は、自分にとってはもはや

とどめのようにしか思えなかった。

顔を上げる事もできず、ただただ自分のつま先だけを眺めた。


「自分の言った通り、俺は音楽も好きや。
 せやからバンドもやめへん。」


『それでもそれは趣味でだ』と、そう続くのだ。

そう思った矢先

頭上から降ってきたのは、思いもよらない言葉だった。





「せやから俺、ミュージシャンも目指すねん。」




「…は?」

降ってきた言葉が理解できず、咄嗟に顔を上げると、

かちりと、金兄と目が合ってしまった。

さすがにそのまま黙りこくるわけにもいかず、

必死に声を絞り出す。


「いや…せやかて…金兄、僧正なんねやろ?」

「せや。」

「ミュージシャンは?」

「目指すけど?」


この男は一体何を言っているのか。

自分にはまるで理解が出来なかった。

それでもかちりと合った金兄のその目は冗談や嘘を言っている目ではなく、

真面目に言っているのだと、そう物語っていた。

言葉を探しあぐねていると、今度は金兄の方から話し始めた。


「俺は、おとんや柔兄みたく妙陀の男として立派な僧正になりたい。
 これが昔からの俺の夢や。
 せやけど、俺、音楽もめっちゃ好きやねん。
 せやから俺はミュージシャンにもなりたい。」


金兄はハキハキと、大きな声でそう言った。


「俺はアホやから、自分の好きな事ぱっと諦められる程
 物分りがようないねん。
 せやから、俺は僧正を目指す。
 せやけどミュージシャンも目指す。」


その声は、迷うことなく、1つ1つ真っ直ぐに吐き出されていく。

その目はただ真っ直ぐに俺を見据えていて、逸らす事ができなかった。


「俺は後悔なんてしたない。
 俺は俺のしたいようにすんねん。」


そう言って笑う金兄のその髪は、

太陽に照らされてキラキラと眩しくて

いつもは酷く子供びて見える金兄が 酷く 酷く大人びて見えて

俺は無意識に目を細めた。

しばらく俺の頭の片隅に張り付いて

俺の胸の中にこびり付いて

離れてはくれなかった。






「ホンマ、昔っからアホやなあの人…」


そう呟けば、その声は吐き出した白い息と一緒に消えた。

ギィとブランコが揺れる。

その音だけが公園内に響く。

はずだった。


「誰がアホやて?」


誰も居ないと思っていた。

自分以外は誰も居ないと。

少なくとも物の数分前まではそうだったはずだ。

しかし、真後ろから聞こえる聞き覚えのある声。

びくりとしておそるおそる後ろを振り返れば、

いつの間にやら自分の後ろには、金色の髪をした男が一人。


「金兄…いつの間に戻ってきたん…?」

「自分がアホ面かましてぼけーっとしとる間にや、
 こん、どアホが!」


その言葉とともに、勢いよくヘッドロックを喰らう。

その威力は、ほんの数秒前まで物思いにふけってぼけっとしていた自分には

強烈過ぎる程に強烈な威力だ。


「いだだだだだだだ…!
 ちょ、マジで痛いマジで痛いマジで痛い…!」

「やかまし!廉造の癖に生意気やぞ!」


一体どれだけの馬鹿力なのか。

それだけ抵抗しても身動きひとつとる事ができない。

そうやって必死にもがいているうちに、

ふと耳元でガサガサと音を立てる存在に気づく。

ちょうど右頬に当たるその音源は、なにやらとても温かい。


「金兄、耳元の袋何?」


そう言うと、金兄は俺からぱっと手を離した。

咽返る喉をゲホゲホと鳴らしながら振り返れば、

金兄はにかっと微笑んで、袋を掲げて見せた。


「たい焼きやで!」

「たい焼き…?」


そう言うと、金兄はガサガサと袋を漁った。

ほら、と言いながら開いたその掌の上には、

金兄の言う通り、1匹の鯛の姿をした菓子が1つ。


「ホンマや…え、せやけど今もう直に21時になんで…?
 一体どこから仕入れて…??」

「はは〜ん、さては自分、知らんな?」


そういうと、金兄は得意げに笑った。


「こん公園の向こう側に去年ちっさいたい焼き屋ができてん。」


そう言って金兄の指差した先は、

先ほどの公園の反対側の出口だった。


「は〜…そうなん…全然知らんかった。」


俺のその言葉に気を良くしたようで、

金兄はそのまま得意げにぺらぺらと話し出した。


「そこ、若いお兄ちゃんが経営してて21時まで営業してんねや。
 そんな時間まで営業しとるから、俺バンドの帰りに仲間と
 よう立ち寄るようになってんけど、したら店の兄ちゃんと
 めっちゃ仲ようなってな!
 20時半過ぎやったら残りモンや言うてめっちゃ安く売って
 くれるようになったんや!」


ほら、と嬉しそうに笑う金兄のその手の袋は

袋自体はそんなに大きい物ではなかったがこんもりと大きく膨らんでいて、

中にたくさんのたい焼き達が収まっている事は容易に想像がついた。


「…もしや俺はそれ買いに行くの待たされてたん?」

「せや。」


俺がそう問うと、金兄は悪びれる事なく頷いて見せた。

兄のおやつの為だけに自分はたった1人

この寒空の下に公園で待たされたというのか…。

そう思うと、自由奔放過ぎるこの兄の行動に、

思わず頭が痛くなる。


「あぁもうええわ…。はよ帰ろ。
 寒くて死んでしまうわ。」

「自分はホンマ軟弱やなぁ。」

「俺は金兄とは違うんです〜。」


そう言ってブランコから飛び降りて、冷え切ったその手をごしごしと摩る。

鎖によって冷やされた指先は、ほんの少し痛いくらいに冷え切っていた。

両手を開いてグーパーと握っては見たものの、動きは酷く鈍い。

その手は冷え切って真っ白になっていて、思わず眉根が寄る。


「ほれ。」


その言葉と同時に、掌に温かな感触。


「え?」


気がつけば、自分の掌には1匹の鯛。


「それ、粒餡な。
 あと、こし餡とチョコとクリームとハムチーズとツナマヨコーン。
 抹茶餡もあるけど、これは1個しかあれへんかったから柔兄のな!」


そう言うと金兄は、袋からもう1つたい焼きを取り出して、

ぱくりと勢い良く頬張る。

そのまま金兄はガサガサと袋を閉じると、

自分のジャケットの腹の辺りにすっぽりと収めた。


「え、何?これ、くれるん?」


普段は意地悪なこの兄の意外な行動にそう問えば、

俺のその言葉に、金兄はきょとんとして首を捻った。


「当たり前やろ。
 皆で食うようにぎょーさん買うてきてんから。」


そう言うと、金兄はまたしても俺のフードをぐいっと引っつかんで、

さっさと歩き出した。


「ぐぇ!ちょっ金兄!また締まっとるから…!」


そう言って、空いた右手で自分の首下をぎゅっと引いて、

首を必死に死守する。


「やかまし。
 はよ帰らんと、自分の肉まんみたくたい焼きが冷めてしまうやろ。」


金兄のその言葉に、はっとした。

自分の左手には、いまだにほこほこと白い湯気を立て

少々熱いくらいに熱を放つたい焼きが1つ。


「金兄、もしかしてこれ、俺の為に買うてくれたん?」


俺がそう言うと、それに反応してぐるりと俺の方へと振り返る金兄。

その勢いで、フードはまた引っ張られたけれど、

同時に手の力を緩めたのか、その首は思ったよりも締まりはしなかった。


「俺は自分と違うて大人やからな。」


そう言うと、金兄は楽しげに にやりと笑ってみせた。

その口元はまるで三日月のようにぐにゃりと曲がっている。

その様子が、酷く 酷く面白くない。


「なんやねん、それ。」


金兄のその表情が酷く腹立たしくて 俺は唇を尖らせる。

それを見て、金兄は薄っすらと目を細めて微笑んだ。


「ホンマ、しゃーない弟やなぁ、自分は。」


そう言って、いつものように俺に手を伸ばすと、

金兄は俺の髪をわしゃわしゃとかき回した。

それでもその手はいつもの乱暴なものとは違って、

酷く 酷く優しかった。


「自分も4月から高校生になんねやから、しゃきっとせな。
 東京で本格的に祓魔師の勉強するわけやからな。
 気合入れや。」


そう言って笑う金兄の髪は

月明かりに照らされてキラキラと眩しくて

俺はぎゅっと目を細めた。

本当は気づいていた。

ずっとずっと気がついていて ずっとずっと気づかないふりをしていた。

本当はその髪は

月のない夜でさえ 俺には眩しく見えるのだ。


「ほら、行くで。」


そう言って、金兄は今度は俺の右手を引いて歩き始めた。

本当に俺はこの金色が苦手だ。

苦手なのだ、この男が。

弱いのだ、この男に。


「金兄、今度髪染めるええ店教えてや。」

「おん、ええで。とっときの店教えたるわ。」


金兄のその手は酷く温かくて、なぜだか鼻の奥がつんと痛んだけれど、

寒さのせいという事にしようと、

そう思った。








END.






初の金廉です。

イメージとしては、廉造が中学を卒業して、東京に出るちょっと前。

2〜3月くらいのイメージ。

そうだね。UPが間に合わなかったんだね。(爆)

某方の金廉に触発されて初めて書いてみました。

私的に、金造は馬鹿だけどダメな子じゃないと思っております。

逆に、廉造は馬鹿じゃないけどダメな子だと思っています。←

だから、普段はお兄ちゃんぽくない金造だけど、

時にはちゃんとお兄ちゃんするんじゃないかなぁとか勝手に思っております。

でも金造と廉造はどちらも素直じゃないので、

付かず離れずの微妙な距離でいるといい。


2012.4.7



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