子供の頃 空に浮かぶ銀の船にただひたすら焦がれた

漆黒の闇に浮かぶ柔らかな光にどんなに手を伸ばしてみても

決して届くはずなんて無くて

掌はただ空を切る

触れる事が叶わないのならばせめて傍にと

小さなグラスに水を張る

水面に映るその姿に満足したのを覚えている

今思えば なんと馬鹿げたお遊びなのか

水面に映るそれは 結局はただの幻に過ぎないと言うのに








−天体恋慕 〜空と月と太陽と〜  前−







久方ぶりに夜更けにふと目が覚めた。

自分の就寝時間は基本的に他人のそれに比べて比較的早い方だと思う。


(歳には勝てぬからのう…)


また、1度寝たら朝まで目が覚めない体質も相まって

深夜に目を覚ましていると言うのは自分にとっては極々稀な事だ。

翌日には大事な会議を控えている為 2度寝を試みてはみたものの

早く寝なければ、という意識のせいか かえってはっきりと目が冴えてしまう。

ごろりごろりと寝返りを打ってはみるが 一向に睡魔が襲ってくる気配が無い。


(さて、どうしたものか)


ある程度足掻いてはみたものの

半刻程度過ぎた頃 もうこれは致し方ない、と開き直って

無理に寝る事を諦めた。

とりあえずは寝台に座ってあれこれと考えてみたものの

別段、これと言ってやりたい事も思いつかなかった。


(まぁここではそんなに選択肢も無いしのう…)


まぁそれならと気の向くままに夜の散歩に赴く事にした。

とりあえずは何も無い廊下をただぶらぶらと歩いた。

その後、最初に思いついた目的地はこの球体の天辺だった。

この崑崙山2の天辺は屋上のようになっており

誰でも簡単に屋外に出れるようになっていた。


(昼間はそれなりに賑わっているが さすがにこの時間になれば誰もおるまい)


そう思い、ふらりと足を向けた。





生活するには別段不自由を感じないこの空間も

以前の崑崙山と比べれば大した広さがあるわけでもない。

部屋を後にして、ものの5分もすれば天辺への出口へと辿り着いた。

するりと出口を通り抜けると、案の定誰の姿も見えない。

ちょっとした穴場を見つけたようで 年甲斐も無く少し嬉しくなった。

しかし、そう思ったのもつかの間

さぁと一筋の風が吹きぬけた途端、思わぬ風の冷たさに身震いをした。

まだ秋口とはいえ、上空を移動しているせいか 外に出ると思いの外空気が冷たい。

その風の冷たさは、寝巻き一枚の無防備な自分のその身には少々応えた。


(以前は上空でも寒さ等さして感じた事はなかったのに…
 長い事地上におったから、すっかり下の気候に慣れてしまったのだな…)


とりあえず、両手で腕を摩り 暖を取る。

元々、特に目的があってここに来たと言うわけではない。

とりあえず辺りを見渡してはみるが別段何があるわけでもなく

ただただ殺風景な景色が広がるばかり。

それならばと空を見上げてみれば

月がその真ん丸い姿をぽっかりと浮かべていた。

月の柔らかな光は、何かを思い出させるようで 胸が妙にざわめいた。

月のその姿になぜだか無性に心細さを覚え 再び中に戻ろうと振り返った瞬間

背後の出口から誰かが上がって来る音がして 思わず心臓が跳ねた。


(こんな時間に一体誰だ…?)





「…おや?師叔…?」

そこに現れたのは、思いも寄らない人物だった。

「楊ゼンか?これはまた珍しい場所で会った物だのう…;。」

この場所は、確かに乗組員達の憩いの場ではあった。

昼間は常に誰かしらかが居て いつもわいわいと賑わっている。

しかしそんなこの場所で 自分がこの男を見かけた事は一度もなかったのだ。

「…全くですね。こんな時間にどうされたんです?」

「その言葉、そっくりそのまま返すわ。」

そういってぶっきらぼうに返すと

整ったその顔がなんとなくばつが悪そうに笑った。

「いえ、なんだか目が覚めてしまって…。
 寝付けないので散歩でも、と思いまして…。
 特に目的も無かったのですが、
 時間をつぶせる場所がここくらいしか思いつかなかったので…。」

「なんだ、おぬしもか…。」

「師叔もですか?」

「うむ…なにやら妙に目が冴えてしまっての…。
 とりあえずどこか、と思っ…思っ…っってぇっくしょい…!!」

それまで無理に寒さに堪えていたせいもあってか

言葉の途中で思わず豪快なくしゃみが飛び出した。

鼻や口から色々飛び散ったが

楊ゼンは咄嗟に身をかわし、とりあえず直撃は免れたようだった。

「師叔…汚いですよ…。」

「ダァホ!仕方あるまい…!」

ずるずると鼻水をすするみっともないわしを見て、楊ゼンはやれやれと苦笑した。

「こんな時間にそんな薄着で出歩くのが悪いのでしょう?」

「うっさいわ…!ほっとけ!」

「仕様の無い人ですね…とりあえずこれでも羽織っていて下さい。」

楊ゼンはそう言って自分が肩からかけた布をしゅるりと取り わしの肩にそっと乗せた。

ほんの少し前まで楊ゼンの肩にあったその布は

持ち主の体温が僅かながら残っていて 薄着の肩にじわりと温かさを伝えた。

その温かさがなんとなく気恥ずかしくて目を逸らす。

「…すまんな。」

「いいえ、どういたしまして。
 今貴方に体を壊されては困りますからね。」

そう言って楊ゼンはクスクスと笑った。

自分の動揺を悟られた事になんとなくばつが悪くなって

楊ゼンにくるりと背を向ける。

「…さてと、暖も取れた事でしょうし、少し付き合ってもらえますか、師叔?」

「…なんだ?」

「折角ですし、少し月でも見ながら話しましょうよ。
 丁度、一人で暇を持て余していたんですよ。」

そういって、楊ゼンはするりとわしの横を抜け、球体の端に腰掛けた。

「ほら、師叔も座ってください。」

楊ゼンはそういって、自分の横をポンポンと叩いて手招いた。

「まぁ…わしも暇を持て余しておったからからのう…。
 少しくらいなら付き合ってやってもよいわ。」

もちろん、自分も暇を持て余していた。

しかし、素直に楊ゼンの要求を呑むのもなんとなく癪で

そう言い訳を一つ零す。

それでも、所詮は暇を持て余していた身。

結局はそそくさと楊ゼンの隣に座り込んだ。

それを見て、また楊ゼンがクスクスと笑ってみせたが

とりあえずは気が付かない振りをする事にした。





空を見上げれば、月は先程と変わらず その姿をただぽっかりと空に浮かべていた。

その姿に先程感じた妙な感情がまた蘇る。

胸に、懐かしさのような妙なむず痒さを覚えるが

一向にその理由が思い出せず 思わず眉根を寄せた。

「知っていますか、師叔?」

「ん〜?」

楊ゼンのその問いかけにもどこか上の空で返したが

楊ゼンは一向に気に留めていないようだった。

「今日みたいな見事な満月の事を『望』っていうんですよ?」

「――――!」

楊ゼンのその一言に、思わずはっとした。

楊ゼンが偶然発したその一言で、今までの疑問が全て吹き飛んだのだ。

胸に掛かった靄がすっと晴れるようだった。





(わしは その事をずっと前から知っておる)





「…うむ…知っておるよ。」

「なんだ知ってたんですか。」

「…おぬしわしを馬鹿にしておるだろ?」

「嫌だなぁ、馬鹿になんてしてませんよ。
 ただ、折角の僕の幅広い知識を披露できなかったのが残念だっただけです。」

さらりとそう言ってのける様を見て

呆れたという気持ちを精一杯こめて見つめてみたが

楊ゼンは痛くも痒くも無い様子だった。

むしろ、いつものように余裕ありげにシニカルな笑みを浮かべてみせる程だ。

「…おぬし、あれだな…;?
 自分の頭脳がこの世で一番凄いと思っておるのだろ;?」

「あはは、いやだなぁそんな事ありませんよ。
 せいぜい5本指くらいの物です。」

「さらりと言いよったの;」

「あはは…いやでも本当によく知っていましたね、師叔。
 師叔は天体とかには興味がなさそうなのに…。」

その一言に、ほんの一瞬だけ息を呑んだ。

考えてみれば、別段、後ろめたい事でもなんでもないのに

なぜか意味も無く動揺する自分に溜息をつきたい気分だった。





(馬鹿馬鹿しい…)





「…別に…人から聞いて知っておっただけだ。」

自分自身の馬鹿げた行動に ほんの少しだけイライラして

そうぶっきらぼうに返した。

「まぁ、そんな事だろうとは思いましたが。」

「…おぬしやっぱりわしの事を馬鹿にして「…普賢師弟ですか?」

『おるだろ?』

そう続くはずだったわしの声を、楊ゼンの声がそう遮った。

その言葉に ぐらりと視界が歪む程の眩暈がするような錯覚を覚えたが、

実際は本人が思う程 動揺は表に出なかったようだ。

その証拠に、楊ゼンはそのままの冗談っぽい笑みを絶やす事なく、

にこにことわしの次の言葉を待っていた。

前置きなしにいきなり核心を突いてきたその言葉に驚きはしたものの、

なぜだか不思議と嫌な気はしなかった。

それでも、こやつの言葉に酷く動揺をしたのは確かで、

こやつにそれを悟られるのだけは酷く癪に思えた。


(わしにだって意地っちゅうもんがあるわ…!)


それ故、動揺を悟られないように、少し芝居がかったように

わざとらしく呆れ顔をして茶化して見せた。

「おぬし、本っ当〜に変な勘は鋭いの〜?」

「…えぇ、まぁ。」

わしがそうして茶化せば、

いつものように得意げな笑みを返してくるものだとばかり思っていた。

しかし、わしの目に映ったのは想定の範囲外の表情。

微笑を浮かべていたのは確かだ。

しかし、いつものシニカルなそれとは違い、

その笑みはどこか少し寂しげに見えた。

「まぁ…かなり、昔の話だがな…。」

楊ゼンのその表情に、なぜかなんとなくばつが悪くなって

なぜかそう口からぽろりと零れた。


(なんでこんな事を…。
 別に、弁解などする理由など何一つ無いのに…。)


口から零れた後にその事に気づき、

なぜか言い訳染みた言葉を零した自分に自分自身首を捻って頭を掻いた。





(一体、何だって言うんだ…)





「どのくらい前の話なんです?」

楊ゼンのその言葉に、ふと我に返った。

気づけば、楊ゼンは興味深げにこちらを見ていた。

その表情が、いつもの笑顔に戻っていて、少しだけほっとした。

安心したからなのか、ふと、自分自身でも

どのくらいで前の事であったかに興味が沸いた。

頭を廻らせてみれば、懐かしい記憶がじわじわと蘇る。

「…う〜む…そうだの。
 確か、まだわしらがスカウトされて10年も経たない位の頃かの〜…。」

「へぇ〜…」




そうだ

あの日あの時

わしとあやつは 今と同じように月を眺めていたんだ








END.





イメージとしては『言葉遊び』の後くらいのつもりで書いた作品です。

『言葉遊び』があってMuge Episodeがあって今回のこの話って感じで。

Mugeは太乙回復に1週間、修理に1ヶ月掛かってるらしいからね。

ここぞとばかりにちゃんと仲直りさせてみました。(笑)

本当は1話で終わるはずだったのに、やたら長くなって3分割に…。

3分割してんのに1話でもこんだけ長いってどういうこっちゃい。

そして、この時期1年〜1年半くらい執筆から離れていたので、元々無い文才が退化しました。

自分の文才の無さに絶望した…!!!


2012.1 再UP



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